プリント基板を私も製造していました。

昔、夫が独立して始めた仕事がプリント基板を使って物を作る仕事でした。私も手伝いだして始めてのハンダ付けに最初は戸惑ったんですが、だんだん慣れてくるとあの感覚がとても楽しくなったものです。秋葉原の電気街に行っては色んな部品を買いに行ったり、もっと大きな試作は別の専門工場に頼んだり、一つの製品を作り上げる楽しさと大変さを近くで見ていて感じました。それを売るというセールスもあるので、全工程をしていた事になります。それで、当然誰もする人が居ないので私が経理もしていました。まったく、これはその前はやった事が無かったのであるプロの人から少しづつ教わりながら経理の仕事をした日々もありました。今考えると何もかも懐かしいです。開発をしてくれる技術者の人の協力が大きな飛躍にもなった年もありました。すべてを巧く纏めるのが夫の仕事だったかもしれません。工場の社長も協力してくれる技術屋さんもそれぞれ、個性が強くて中々一筋縄ではなかったものでした。色んなそれぞれの人の考えが一つになって一つの物を作り上げたあの頃があったからこそ、今があるかもしれません。その技術屋さんは既に亡くなってしまいましたが、あの明るい笑い声が懐かしく思うこの頃です。とてもお世話になった方でした。